十人十色2025年7月 天野 小石選
木の根明く地の神々の目覚めかな 進藤 利文
「木の根明く」は北海道歳時記などに記載が見られます。北海道や東北の雪深い地域では、春、樹木の持つ熱で樹木の周囲から雪解けが始まり、根元に丸く土が現れます。樹木の生命力を感じさせると共に、春の訪れを言祝ぐ季語です。進藤利文さんは秋田にお住まいですので、この句からは白神山地の山毛欅林などが想像されます。白神山地には秋田で天為同人総会が開かれたとき、足を伸ばして訪ねることが出来ました。季節は秋でしたが、その大自然の雄大さに圧倒されました。この句は「木の根明く地」という表現で山々の広がりを感じさせ、後半の神々しさを支えています。格調の高い、感動的な一句だと思います。これからも自然の素晴らしさ、そして時に恐ろしさを伝える俳句を詠まれることと思います。
六合の枝垂桜や光満つ 千島 文得
作者の千島文得さんは秩父市に在住されています。この句の枝垂桜があるのは地元の岩松山清雲寺でしょうか。秩父支部の皆様で吟行をされたのかも知れません。清雲寺の枝垂桜は関東では大変有名で、実は私もこの春二日間にわたり訪ねて参りました。白から薄紅、濃い紅枝垂まで、境内は花に覆われます。一番の古木は樹齢六百年と言われており、力強く空に突き上げた幹に年月の重みを感じます。「
黒牛の背の黒光る穀雨かな 鈴木千枝子
黒毛和牛とよく言いますが、高級肉牛として飼養されており、高い評価を得ています。漆黒の毛並みが美しく、飼育にも手が掛けられていることが見て取れます。生産地は各地にあると思いますが、私が今思い出すのは島根の隠岐の島の黒牛です。私は行ったことが無いのですが、以前有馬先生が隠岐の島俳句大会の選者をされていた折、隠岐で詠まれた俳句や写真が印象に残っています。碧い海を背景にした黒牛が艶やかでした。雨が百穀を潤す穀雨の頃、黒牛の背もしっとりと潤って濡れたように黒く光っている。自然と人の営みが織りなす鮮やかな一瞬を切り取っています。
春宵の空群青のジャズライブ 前定やよい
素敵なひと時を過ごされたことが伝わってきます。春宵の、空が群青色に澄み渡る頃、とあるジャズライブが始まった。同時発表の作品から、このライブハウスは地上十九階にあり、ボーカルは喜寿(句には希寿とあり)の友人であることが分かります。年齢を重ねた方のボーカルはきっと深みがあり、聴く人の心を癒やすような歌い方をされているのではと想像します。やよいさんがお住まいの広島の夜空にそのジャズの音が響き渡った。原爆投下から八十年、亡くなられた方への追悼と、今の世の平和が保たれることへの祈りが込められたライブだったのかも知れません。
チューリップ夕日を一つづつ包み 安藤小夜子
安藤小夜子さんとは、以前は東京例会で毎月お目に掛かっておりました。毎回皆さんにキャンディーを配ってくださり、お優しい印象が忘れられません。現在は句会ではお会いできませんが、毎月の投句でお元気なご様子が伺えます。この句にも小夜子さんの優しい眼差しが感じられ、日々の生活を丁寧に送られていらっしゃることが分かります。夕方チューリップが閉じるとき、それは一花ずつ夕日を包んでいるというファンタジー。まるでキャンディーの包みのように、色とりどりのチューリップが夕日を包んでいる。翌朝またチューリップが開くときが楽しみになります。
あえかなるうなじ立て咲く一輪草 阿部 朋子
身近に一輪草が咲いていないのでネット検索してみると、沢山の写真が見られるし、植物としての特性も分かる。でも朋子さんは一輪草の群生地で、その咲く姿を見てこの句を詠まれたと思います。群生しているからこそ、その一つ一つの咲く様子に凜としたものを感じたのではないでしょうか。細い茎の先に一輪の花を咲かせている姿を後ろから見ると、茎の上部は本当に「うなじ」の様に見えます。かよわく、頼りなさげなうなじだけど、それを精一杯立てて咲いている一輪草を愛情を持って詠まれている感じがします。東京では板橋に二輪草の群生地があり、以前吟行したことがあります。
坂多き町の夕べや花明り 山口すみ子
「坂多き町」も日本中にありますが、この町はすみ子さんがお住まいの横須賀です。海と山に挟まれた土地で、アメリカの海軍基地として有名であり、どぶ板通りなど、一種異国情緒も感じる町です。昭和の時代、山口百恵の「横須賀ストーリー」がヒットし、「急な坂道駆け登ったら、今も海が見えるでしょうか」というフレーズが印象深く残っています。そんな横須賀の町に桜が咲いて、夕暮れ時にほんのりと町を明るくしている。港には戦艦が停泊し、通りには自動車や家路を急ぐ人が行き交っている。まさに横須賀という町の「ストーリー」を感じさせてくれる一句です。
猫柳夜明けの雨を残しをり 藤井 素
早春、水際などで見かける猫柳。ふわふわとした銀毛に覆われた花穂が風に揺れる様が猫の尾のように見えるから、この名で呼ばれているとも言います。見つけると必ず指で撫でたくなるのは私だけではないでしょう。北原白秋には猫柳の歌が幾つかあり、「霧雨のこまかにかかる猫柳つくづく見れば春たけにけり」と詠んでいます。白秋の「霧雨」に対し、素さんは「夜明けの雨」に輝く猫柳を詠まれています。どちらも銀毛が水滴を弾きながらも纏って、水滴も銀毛も輝いている様子を詠んでいます。様々なものに目を凝らして、春の訪れを感じている様子が伝わります。
春愁や八十路忌なりし自決ガマ 當間タケ子
先にも触れましたが今年は戦後八十年という節目です。戦後に節目も何もないとも思いますが、一つの機会として捉えると、戦後何十年という時々に、戦争という最大の悲劇を繰り返してはならないという思いを新たにする節目なのでしょう。沖縄戦において、「集団自決」という言葉に関して様々な議論がありますが、追い詰められ、死ぬしかなかった人たちが大勢いたことは事実です。終戦時十歳であったタケ子さんが、その時どんな状況に置かれていたのか想像することも出来ませんが、八十年前に亡くなっていった方々への思いをこの句で伝えていただいたことに感謝したいと思います。
うららかやペット得意と写真館 山本 純夫
恥ずかしながら写真館で写真を撮ったことが人生で一度もありません。私が子供の頃には一家に一台カメラが普及し始めて、改まって写真館に行く機会はありませんでした。さらに現在では誰でもスマホで高画質な写真が撮れる時代。一体写真館の役割とは、と思っていたら掲句に出会いました。なるほど、ペットに目を付けたんですね。「ペットのお写真承ります」というコメントが犬や猫を可愛く撮影した写真例と一緒に張り出してあるのでしょうか。折しも春の日が美しく輝いて町中が明るく感じられる時、純夫さんもまた良いところに目を付けて一句詠まれましたね。
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