天為俳句会
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十人十色2025年8月 日原 傳選

  ぬけがらのミケランジェロや麦嵐    森  幸子

  ミケランジェロ(一四七五~一五六四)の代表作「最後の審判」に材を取った作であろう。その絵はバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画である。急逝した教皇クレメンス七世の遺志を継いだ教皇パウルス三世に依頼され、約五年の歳月をかけ、一五四一年に完成したとされる。この絵には四百名を超える人物が描かれている。中央には再臨した逞しい姿のイエス・キリストがおり、死者に裁きを下している。向かって左側には天国に昇天する人々が、右側には地獄へ堕ちてゆく人々が描かれる。キリストの右下に描かれた聖バルトロマイは十二使徒の一人だが、皮剥ぎの刑で殉教したとされる。この絵のなかでは、右手にナイフ、左手に人間の生皮を持つ姿で描かれており、その生皮についた顔がミケランジェロの自画像だというのが定説である。それを「ぬけがらのミケランジェロや」と大胆に提示した。下五に置いた「麦嵐」という季語が聖書の大きな世界を描いた絵を支える背景として働いている。

   歌舞伎はて五月の銀座汐匂ふ       三澤 俊子

  歌舞伎座の公演を堪能した後、銀座の街を歩く。そこでふと汐の香りのするのを感じたというのである。銀座から少し歩けば築地である。勝鬨橋を渡れば月島に至る。隅田川を潮が上がっていたのかもしれない。「五月の銀座」という措辞からは、初夏の爽快感が感じられる。家康が江戸城に入った当時、江戸城は海岸の波打ちぎわにあり、いたる所が蘆の生い茂る湿地であったという。近世都市の江戸は「日本の歴史上はじめて、意図的にしかも継続的に、海に向かって陸地を拡大していった現場だった」(鈴木理まさ生お『江戸の都市計画』)といった言葉に思いが及ぶ。

   SLや青葉若葉をひた走る        千島 文得 

  「青葉若葉」というと、芭蕉の『おくのほそ道』に見える「あらたふと青葉若葉の日の光」の句がまず思い浮かぶ。日光の東照宮を参詣した時の作。なお、当時「若葉」は夏の季語であったが、「青葉」は「雑」に分類され、季語にはなっていなかったという。掲句はその「青葉若葉」のなかを疾走する蒸気機関車に焦点を当てた。「SLや」という力強い主題の提示、「ひた走る」という措辞に蒸気機関車を賛美する作者の気持ちが表れている。

   囀や真澄の眠る日和山          進藤 利文

  菅江真澄(一七五四~一八二九)は江戸時代後期の旅行家・民俗学者。三河の生まれ。初め国学・和歌を学び、のち漢学・画技・本草学・医学を学ぶ。天明三年(一七八三)に遊歴の旅に出立、信濃・越後を経て出羽・陸奥・蝦夷地と日本の北辺を巡る。以来二十八年間各地を遍歴し、庶民の生活、各地の伝承・習俗などを詳細に書き留めた。その間、寛政九年(一七九七)から十一年まで津軽藩で薬物掛り勤務。享和元年(一八〇一)に久保田藩(秋田)に移り、のち定住。文政十二年(一八二九)角館で逝去、遺骸は久保田近郊の秋田郡寺内村(現在の秋田市寺内)に運び、葬られたという。「日和山」は各地にあるが、この句にあってはその秋田市にある墓所を指すのであろう。秋田市にお住まいの進藤さんの真澄に対する敬慕の情の示された一句。

   茉莉花の白きに眠る涅槃仏        嶋田 香里

  「茉莉花(ジャスミン)」は夏の季語。一方、「涅槃仏(寝釈)」は春の季語。季重なりの句ということになる。「茉莉花」に焦点を当てた句とすれば、寺の境内などに大きな寝釈が置かれており、茉莉花の咲く季節になって、しきりにその白い花が強い香りを漂わせる情景を思い浮かべればよかろうか。「涅槃仏」を中心に据えた句とすれば、人の集う南国の涅槃会の光景を想像すればよかろうか。全体の語の運びから評者は後者の読みをとった。

   新吉原九郎助稲荷花は葉に        比留間加代

  今年の大河ドラマ「べらぼう」では「九郎助稲荷」がしばしば登場する。それに材を取った作であろう。「新吉原」は「元吉原」に対する呼称。明暦三年(一六五七)八月に江戸の遊里は葺屋町(現在の中央区日本橋堀留町あたり)から日本堤千束村へ移った。それ以降、前者を「元吉原」、後者を「新吉原」と呼ぶ。新吉原では郭内に四つ(榎本・開運・九郎助・明石)、郭外に一つ(吉徳)、稲荷社が置かれていたようだ。郭内の四社は東西南北の四隅にあり、南に位置する九郎助稲荷は一番人気があったという。明治十四年、この五つの稲荷社は吉徳稲荷社のあった場所に合祀され、吉原神社となる。その後、関東大震災を経て、吉原神社は現在地に移ったという。花が終り、葉桜となったころ、作者は江戸時代の新吉原の繁栄を思いつつ当地を探訪したのであろう。

   晴れ渡り桃山文化の山車七基       魚谷美佐栄

作者は富山県高岡市にお住まい。高岡御み車くるま山やま祭に繰り出される山車を詠んだ作であろう。高岡で「御車山」と呼ばれる山車は豊臣秀吉が聚楽第に後陽成天皇の行幸を仰いだ時に用いた御所車を前田利家が拝領したという由緒を持つ。山車に施された装飾は安土桃山時代の面影を残すものであるという。山車の巡行は毎年五月一日に行なわれるようだ。上五の「晴れ渡り」の措辞から、今年も御車山の巡行に出会えた喜びが伝わってくる。

   水槽の底の泥鰌の春愁          鈴木千枝子

  永田耕衣に「泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む」という面白い句がある。耕衣句は天然の池に棲む泥鰌を詠んだ句であろう。一方、掲句の泥鰌は水槽に飼われている。その水槽には他の魚、たとえば金魚なども一緒に入れられている感じがする。水中を泳ぎ回る金魚などに対して、泥鰌は底に沈み、じっとしているのであろう。その様を「春愁」によるのだと作者は断定した。その断定によって泥鰌の愁い顔が想像され、耕衣句とは別の面白みが生まれた。

   ががんぼの脚ゆらゆらと農具小屋     宮本あき子

  「ががんぼ」は細く長い脚が特徴で、その脚は容易にもげてしまう。その命名は「蚊の母」の意によるというが、蚊のように血を吸うこともなく、ひたすらか細い感じである。成虫は花の蜜などを吸い、寿命は十日ほどという。そのががんぼが農具小屋に入りこみ、漂っているのである。何を目途に農具小屋に紛れ込んだのか、偶然に翻弄される憐れがある。

   教皇の私物三点春惜しむ         堀内 裕子

  今年の四月に第二百六十六代ローマ教皇フランシスコ(一九三六~二〇二五)が逝去された。それを受け、五月には新しい教皇を決める選挙コンクラーベが行なわれ、アメリカ出身の教皇レオ十四世が誕生し、世界の注目を集めた。その一連の報道に材を取った作。亡くなった教皇フランシスコはアルゼンチンにイタリア系移民の子として生まれた。教皇に就任したのは二〇一三年。贅沢を諫め、清貧な生き方を貫いたことで知られる。逝去時の私物は、アルゼンチンの職人の作った黒い革靴一足、カシオ製の腕時計そして聖書の三点だったと報道された。それを早速一句に仕立てた。

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