天為俳句会
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十人十色2025年10月 福永 法弘選

   職員の初心者マークやアイスティ  道家 俊雄

  パーキンソン病はふるえ、動作緩慢、筋固縮、転び易いなどの運動症状が出る病気で、明確な原因のわかっていない指定難病の一つである。同時発表の句に〈七月のパーキンソンの身重し〉とあるので、俊雄さんは若くして発症され、闘病生活を送っておられるのだろう。
  デイサービスの送迎を受ける身だが、その担当職員がまだ不慣れで「初心者マーク」を付けていることに目を止め、一句に仕立てられた。辛さ厳しさは想像に余りあるが、こうした一句を得られたことを励みに、病に立ち向かっていかれることを真にお祈りしたい。

    逆上がりしさうな胡瓜葉隠れに   内山 美代

  胡瓜は植えつけから収穫までおよそ一か月で出来るので、家庭菜園にはぴったりの野菜だ。だが、元々の原産地が温暖湿潤なヒマラヤ山麓の肥沃な場所のために、肥料と水をたくさん必要とする野菜でもある。肥料か水のどちらかが不足すると、大きくならなかったり、曲ってしまったりする。
  この句、そうした曲った胡瓜を詠んだのである。太く真っすぐな立派な胡瓜より、細くて曲った貧相な胡瓜の方が、俳句の素材としては適しているかも(笑)。そしてその曲りようを、逆上がりしている姿だと捉え、その上、その姿が恥ずかしいのか、葉の裏に隠れているとまで言うのである。逆上がりできない子が、友達に見られないように遠くの公園でこっそり練習している姿に重なってしまう。

    青邨の句碑に夕立や中尊寺     進藤 利文

  家元制度を採っている茶道や生け花では、〇〇流という言い方で自分の所属を表すが、俳句では流派ではなく師系という形で自分の立ち位置を示す。天為に集う我々は、虚子、青邨、朗人そしてその次が自分という系譜になる。従って山口青邨は、面識があったか無かったかに係わらず、師の師ということになる。青邨は鉱山学者だったので、全国各地の鉱山にその足跡を残しており、思わぬところに句碑が建っている。中尊寺には、光堂を逸れて白山神社に向かう途中に〈人も旅人われも旅人春惜しむ〉という句が、角の取れた丸長の石に刻まれている。

   山向かう音のみ響く花火かな    藤井  素

  私は今、京都の知恩院下の白川沿いに住んでいるが、大津で八月初めに行われる「びわこ花火大会」の音が、風向きによっては、東山を越えて聞こえて来る。地下鉄東西線に乗り、御陵駅から京阪大津線に回れば、大津にはすぐ着く。大勢の浴衣姿の若者で地下鉄は混み、夏の熱気がさらに増す。
  京都の町なかを流れる鴨川でも、昔は打ち上げ花火大会が行われていたが、今は禁止されている。そのきっかけの一つが、昭和二十九年八月十六日、大文字の送り火の夜に行われた読売新聞社主催の大会だ。風に流された落下傘型花火が京都御所に落ち、幕末史の舞台ともなった小御所を全焼させてしまったのだ。だから、大津の花火の音を東山越しに聞くと、京都の古い人たちは、小御所火事を思い出すのである。

    鉄線花引かうか行くか迷ふ恋    堀内 裕子

  花の名に鉄線とは、いささか無粋な気もするが、蔓が固くてしっかりしていることが名付けの由来だとか。中国原産だが、江戸時代には家紋として意匠化され、広く親しまれた。
  さて、句は恋の悩みである。二人の絆は鉄線ほどに強いのだろうか。引くか行くか、貫くか諦めるか。恋の悩みは洋の東西、古今を問わぬ永遠のテーマだ。

    蓮始開ぽっぽっぽっぽっと多分   鈴木 彌生

  一年を五日ごとの七十二の期間に分け、それぞれの自然の様子を表したものが七十二候。古代中国で生まれ、日本でも古くから使われてきた。蓮はす始はじめて開ひらくもその一つで、蓮の花が咲き始める七月十二日頃から十六日頃までを指す。小暑の次であり、本格的な暑さが始まる頃となる。
  句は蓮の花の開くさまを想像し、ぽっぽっぽっぽっとオノマトペで表したのだが、純粋写生ではない分、多少気が引けるからか、末尾に「多分」と置いて、エクスキューズしてある。気持ちに余裕の感じられる可愛らしい句。

    宵山や肘笠雨のコンチキチン    古宮 節子

  京都の園祭では七月のほぼ一カ月間、様々な神事や行事が行われる。ハイライトは十七日の山鉾巡行(前祭り)だが、その前夜の宵山、前々夜の宵々山では四条通り、烏丸通りの一部が歩行者天国となり、各町内に既に組みあがった山や鉾を見ようと集まってくる大群衆で熱気は最高潮に達する。
  肘笠雨は『源氏物語』の「須磨」の巻に出て来る用語で、急に降り出した雨のために傘が間に合わず、肘を曲げて顔の前で雨を避けるという意味の言葉。
  今年の祇園祭は、宵山も巡行日も大雨だった。しかし、王朝雅びな肘笠雨という言葉を配することによって、雨もまた風情、京都らしさがいや増す句に仕上がっている。

    足上げても影は足下炎天下     かめだともこ

  自分の影を眺めていて出来上がった句。炎天下では太陽がほぼ真上にあるから、足を上げても曲げても、その影は身体の影から離れず、遠くへ伸びたりすることもない。何でもないようでいて、よく観察された句。
  影を詠んだ句では、無季だが、尾崎放哉の〈つくづく淋しい我が影よ動かして見る〉が有名。たまにはしみじみと、自分の影と遊んでみるのも一興かも。心の中を窺わせるような予期せぬ句が作れるかもしれない。

    万博はミニスカートで遠き夏    森木 方美

  ツイッギーが羽田空港に降り立ったのは昭和四十二年のことで、その後日本にミニスカートブームが巻き起こった。
  今年は大阪で万国博覧会が行われているが、五十五年前の昭和四十五年にも大阪で万博が行われ、日本中、世界中から見学客が押し寄せた。その遠い昔の夏、方美さんは、万博へミニスカートで出かけたのである。ミニスカートブームも万博も半世紀以上前のことだから一応、遠き夏と言ってはみたが、実はまるで昨日のことのように思い出す。
  そうしたノスタルジーも込めて、今回の万博に行った人も多いだろう。私もその一人だ。前回は中学校の修学旅行で山口県から参加したが、今回の会場でも多くの修学旅行生に出くわした。万博そのものより、若々しい生徒たちの姿に、五十五年も経ってしまったのかという、深い感慨が沸き上がった。

    手を肩に医師の笑顔や紫陽花忌   三澤 俊子

  紫陽花忌とはいったい誰の忌日なのだろう。手元にある歳時記や季寄せには載ってないので、ネット検索で調べたところ、先ずは二人がヒットした。一人は俳優の石原裕次郎。命日は七月十七日で、紫陽花は生前の裕次郎が好んだ花だそうだ。もう一人は福岡博多の遊女雪友で、命日は旧暦の六月二十七日。墓がある選擇寺では雪友だけでなく苦界で辛い生活を強いられた多くの女性たちを紫陽花忌として毎年弔っている。その他、作家の林芙美子(六月二十八日没)も、水原秋櫻子(七月十七日没)も、その忌日が紫陽花忌と呼ばれることがあるようだ。
  この句、誰の忌日かという問いに対しては、医師の登場にヒントがある気がする。秋櫻子は医学博士だった。

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