天為俳句会
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十人十色2026年4月 日原 傳選

居眠りのコアラと年を惜しみけり     中川 雅司

  歳末に動物園を訪れたのであろう。樹上で居眠りをするコアラを見ながら、この一年のことを考え、去りゆく年を惜しんでいるというのである。「年惜しむ」という季語の句に登場するコアラには意外性があり、面白い。コアラは地上に降りることは稀で、ほとんど樹上で生活している。主に活動するのは早朝と夕方であり、一日のうち十八時間から二十時間ほどは眠っているという。コアラの食べるユーカリの葉は毒素を含むためコアラは体内にもつ酵素でその毒素を分解する必要があり、またユーカリの葉自体の栄養価の低いこともあって消化にたくさんの時間を使う必要もあるらしい。それが一日の大半を眠って過ごす理由だという。過ぎゆく歳月に思いをいたす人間とそのような事とは没交渉に眠りこむコアラとの対比が愉快である。

筑豊の指呼のぼた山冬霞     宮本あき子

  炭鉱で石炭を採掘する際に一緒に掘り出される岩石および選炭後の<屑石炭を「ぼた」と言う。それらの不要物が長年積み上げられると「ぼた山」となる。円錐形をしているものが多く、高さは百メートルを越えるものもある。歳月を経ると草木に覆われるようにもなる。「筑豊」は福岡県北東部。旧国名「筑前国」「豊前国」による呼称。遠賀川流域を中心とするこの一帯にはかつて炭田地帯が広がり、筑豊炭田と呼ばれた。この地帯の石炭は江戸時代にすでに発見されていたが、石炭業として発展するのは明治維新後のこと。明治二十年代には日本最大の産炭地となった。それに由来する大きなぼた山。その姿が冬霞のなかに間近に見えるというのである。指さして呼べば応えるほどの近い距離をいう「指呼」という言葉がうまく使われている。ぼた山と親しい関係にある気分がこの語から感じとれるのである。

いるか泳ぐはるかにコンビナートの灯     籔谷 智恵

  海豚は冬の季語。歳時記の傍題に「海豚狩」があり、<海豚囲ふ船守颪吹きにけり 萩原麦草><一湾の燦爛として海豚狩 和田祥子><横たはる海豚の中の焚火かな 岡田耿陽>といった例句も見える。『俳諧歳時記(冬)』(改造社)では「沖合を群游する海豚を数十艘で打ち囲み、一斉に舷や甲板を打ち鳴らして威嚇し、散乱するのを防ぎながら港に誘ひ込み、港口を鎖ざして之を狩る(伊豆西海岸安良里港所見)」と説明する。それに関連して、<<海豚とは知らせてをらず薬喰 茨木和生><春の旅イルカの切身買ひにけり 岩淵喜代子>のように食肉としての海豚を詠んだ句もある。また、海豚は知能が高く芸をすることができるので水族館などで海豚ショーが行なわれる。<芸をする海豚水より抜け出せり 右城暮石><土用波海豚の芸も休ませて 瀧春一>はそれを詠んだ作。
  一方、掲句は大海を泳ぐ海豚を詠んだ。夕暮れ、あるいは夜の光景であろうか。海豚の泳ぐ海から遠くに、灯されたコンビナートの無機質な機械群が見える。泳ぐ海豚とともに近代的な海辺の風景を描いて新しみが出た。

初明りまづはゼウスの玉座より     松本 正光

  掲句の「ゼウスの玉座」はギリシャ最高峰であるオリュンポス山(標高二九一七メートル)の頂上付近にある岩峰を指すものと思われる。古代ギリシャ人にとっての最高神であるゼウスは最終的な覇者となったのち、一党と共にオリュンポス山の頂に宮居を構えたとされる。そのゼウスの玉座が元日の曙光を真っ先に受けているというのである。写真で見るオリュンポス山は荒々しい岩山。元朝の大景を詠み上げた。

初富士やパステル色の朝ぼらけ     堀内 裕子

  初富士を「色」の面から捉えた句を探すと、<初富士の金色に暮れ給ひつつ 竹下しづの女><初富士の朱の頂溶けんとす 山口青邨><初富士銀冠その蒼身は空へ融け 中村草田男><初富士の漆黒の襞は雪をとめず 渡邊水巴><初富士の白し葛西の海濁る 瀧春一><初富士の玲瓏巨き創あをし 篠田悌二郎>といった句がみつかる。掲句は「パステル色」が眼目。「パステル色」とは、赤・青・黄・緑といった原色ではなく、淡い色彩の中間色を言う。この句の「パステル色」は富士山そのものの色ではなく、元日の朝のほんのりと明けてくる周囲のさまを言っているのであろう。朦朧とした光景の中にあっても中心はやはり初富士なのである。

茅葺きの小さき鐘楼冬ざるる     野中 一宇

  一読、田舎の小さな寺の境内に立つ鐘楼の姿を想起した。現存する茅葺きの鐘楼や鼓楼は江戸時代に建立されたものが多いと聞く。小さい鐘楼とは言え、由緒ある寺なのであろう。
それを地元の人たちが大切に守ってきたことが想像される。冬ざれの荒涼とした景色の中に立つ茅葺きの鐘楼は「枯れた美」とも言うべき姿を呈しているのであろう。

若菜摘む微かな音をこぼしけり     松尾 久子

  「若菜摘」は七種粥に入れる若菜を摘むこと。由来のある大きな季題である。古くは正月はじめての子の日に行なう行事であったが、後には正月六日に行なわれるようになった。<君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ 光孝天皇><春日野の若菜摘みにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ 紀貫之>など和歌の作も多い。掲句の「微かな音」とは何だろうか。若菜を摘む人の衣擦れの音なのだろうか。あるいは摘んだ若菜の根からこぼれる土の音なのだろうか。その答えは読者の想像に委ねられている。それを楽しむべきであろう。句の姿の美しい作である。

淑気満つ相田みつをの武骨な書     岡田 寿恵

  相田みつを(一九二四~九一)は栃木県足利市出身の詩人・書家。分かりやすい詩を独特の字体の書で表現して人気がある。六十歳の時に出版した詩集『にんげんだもの』が二百万部を越えるベストセラーとなり、広く知られるようになった。作者は相田みつをの詩と書が好きなのであろう。「武骨な書」と言いながら、線の太いその文字を愛でている感じである。部屋に飾ったその書を淑気の満ちる正月に改めて眺めているのであろうか。

足の甲命綱なり梯子乗     大谷 忠美

  「梯子乗」は正月の季語である「出初」の傍題。その出初式に梯子乗が登場したのである。空へ立てた高い梯子に登っていろいろな離れ業を披露する。梯子の上で倒立をしたり、梯子の上に背を預け体を平らにして天を仰いだりする。梯子に足をからめて逆さになった状態で梯子から手を離したりもする。そのような場合は足の甲の使い方が大事だというのである。「足の甲」に焦点を当て、実感の備わった句となった。

四世代惜しむ閉校燕来る     原島 勝子

  近年の少子化の影響を受けて小学校や中学校の閉校のニュースを耳にすることが多くなった。この句もそれを詠んだ作であろう。四世代がご健在の大家族。代々みなその学校に学ばれたのであろう。各人それぞれの思い出の纏わる歴史のある学校が閉鎖になってしまうのである。一方、人間世界の変転とは関わりなく、春の到来を知らせるように燕が今年もやって来た。変わらぬ燕の姿を見るにつけて、学校の閉ざされることが惜しまれるのである。

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