十人十色2026年5月 西村 我尼吾選
薄氷のやうなハーンの義眼かな 櫻田 千空
ラフカディオ・ハーンは、日本の文化を西洋人として学びながら来日し、その隻眼で怪異や幽玄を自らの内面に取り込んでいった人物である。薄氷のやうなハーンとは、単に見た目の冷たさや透明感を言っているのではなく、西洋でもなく日本でもなく、その境目に立ち続けたハーンの詩魂の本質的薄氷性を呼び出す言葉である。冬から春へ移る境目の氷は、死と再生の境界にある。その美しさ、その透明度、今にも消えそうな在り方が、ハーンという存在の文化的な位相と重なる。その義眼は見えないものを見る目であり、文明の作り出した目でもある。それゆえ、この作品は、読者に、薄氷のような眼を心に浮かばせ、ハーンの創造した怪談の美の世界への扉を開けてくれる。
凍星や鉄片ねむる研究所 嶋田 香里
「凍星や」で夜空がひらかれる。遠く、硬く、澄みきり、人の手が届かない。その極限の冷えが句の基調となる。視線を一挙に地上へ落とす。「鉄片ねむる研究所」。宇宙と人間の営みが、同一の冷却状態に置かれる。鉄片は、加工の途中で切り離され作業の痕跡と未完の時間が宿る断片。研究所とは本来、物質を操作し、知を生成する場。そこで眠っているのは物ではなく、生成そのものである。「凍星や」で宇宙的冷却を置き、「鉄片」で物質を置き、「研究所」で人間の生成の場を置く。そして「ねむる」によってそれらすべてを同一の静止へ収束させる。それはすべての「有」の根源となる「空」の状態であり、過去の試行、現在の沈黙、未来の再開、すべてがある。龍樹の中観を見事に体現した句である。
山眠る風の尖りの消ゆるまで 松尾 久子
「風の尖り」を単なる風の強さではなく、造化が人間の心に触れてくる緊張として捉えた。心象の山はその心象の風の棘を内に抱えつつ、本不生という普遍の関係の中で冬と呼ばれる状態の眠りにある。「消ゆるまで」は時間の説明ではなく、造化の操る季節の変化という世界との関係がゆっくりほどけてゆくことを示す。山の眠りは、人間の内なる山の眠りであり、その尖りが消えたとき、人は内なる山を目覚めさせる。山は笑うことになる。
臘梅の指に透けゆく色も香も 田中 梓
臘梅は、この句の成立における必然の対象である。臘梅は半透明の花弁を持ち、光を内に通しつつ、香りもまた空気に溶けて強く分離しない。そのため「見る」「嗅ぐ」「触れる」といった感覚がまだ分かれきらず、一つの流れとして指先に集まる。「指に透けゆく」とは、その未分化の感覚が身体に触れてくる瞬間である。他の花では視覚や香りが先行し、この状態は成立しない。臘梅であるがゆえに、色と香が分かれずに来る。この感覚の一体性を成立させる季語の本意を捉えたのが手柄である。
薔薇の芽や祖国に帰りしシリア人 青 猫
シリア人という多くの悲劇を抱えた人々の現実を示しながら、戦争や悲劇を直接語らず、「祖国に帰りし」という過去形の表現だけに留めた。そこに「薔薇の芽」を配することで、希望と未来が同時に示される。芽は希望であると同時に、まだ確かな形を持たない存在であり、帰還後の未来もまた未確定である。社会的事実を省略し、自然の期待される変化の象徴としての薔薇の芽を感動の焦点に据える。この象徴と抑制の均衡により、透徹した批判意識に基づく現代における社会性俳句としての硬質の抒情を形成した。
かそけき音ときに定けくしづり雪 江成 苑枝
木の枝に積もった雪が、重みに耐えきれずに落ちる。「かそけき音」と「定けく」という言葉によって、音は常に明確に存在するわけではなく、ほとんど消えかけた状態で漂い、ある瞬間にだけ確かになる。そのときに生じる音は、確かに存在するが、静寂の中で初めて意味を持つ音である。世界は常に明瞭なのではなく、曖昧さの中からふと輪郭を得るのだと感じさせる。雪が落ちるまでの静けさ、落ちたあとの静けさ、その両方が言葉の外に広がる。読者は、音を聞くというよりも、その前後の静寂を感じることになる。その音を「しづり雪」と思い定めるところに気品を感ずる。
寒明けの祓詞は埴土を鋤く 河野 伊葉
ペンローズは量子力学の立場から物質さえも精神的なものであると論じた。空海も世界は真言からなると論じた。
白梅の香はほのかなり烏城闇 道家 俊雄
春浅しベンチに落つる柵の影 仲田 観夏
「春浅し」という言葉で始まる。それは、まだ春が開いていない、どこかためらいを含んだ季語である。「柵の影」の影は細い線の集まりとして想像される。それがベンチに落ちることで、座るための場所が、線によって区切られる。見えない格子がかかる。この句はその単純さの中に、時間と空間の繊細な関係を閉じ込めている。影は、光があって初めて生まれる。つまりここには、直接は描かれない光がある。しかしその光は、「浅い春」の光である。どこか硬さを残している。その影もまた、はっきりとした輪郭を持つ。その影による静かな分割が青春の孤独の影を浮かび上がらせる。
言問団子下げて滔滔春の川 松本 義昭
言問団子は浅草・向島の名物であり、手に提げられた団子、歩く人の動き、軽い日常の一場面が、穏やかな生活を表し、言問橋や隅田川の風景が、自然に浮かび上がる。そこでは、人々が行き交い、食べ物が運ばれ、川は変わらず流れている。「言問団子」と滔滔と流れる春の川という組み合わせには日常性の繰り返しが、句の奥に静かに蓄えられながら、今この瞬間の光景でありながら、過去や未来の光景をも現前させる。何気ない往来の一瞬が、川の尽きぬ流れによって歴史の中へ置き直され、不易流行が同時に感じられる。軽やかな風俗句に見えて、時空を超える一句である。
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