天為俳句会
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十人十色2026年6月 福永 法弘選

   よき風によき香の涅槃桜かな        山内 三郎

  三郎さんの投句はがきの消息欄には長らく体調を崩しておられた由が書かれてあるが、それよりも驚いたのは、まだ四十代の若さだというのに、この一句を「現時点での辞世の句」だとおっしゃるのである。
  天為初期の同人だった故七田谷まりうす氏は「季節が変わるごとに辞世の句を用意している」と言っておられたが、ともに俳人としての覚悟や見事、しかし、病に打ち克ち、ますます句境を深めていただきたいと願うばかりである。

   山裾の瀬音に揺るる花辛夷          山口すみ子

  この頃、どの結社誌でも総合誌でも、人事句が幅を利かせている。大正時代の俳人大須賀乙字は「人事は季題にすべからず」と言ったと伝わるが、自然がどんどん減っていく現代であるから尚更のこと、自然に材をとった自然観照句を作ってみたいものだ。辛夷は高さ六~九メートルほどの落葉喬木で、三月から四月にかけて、白い可憐な花を咲かせる。春の訪れを告げる花で、遠目にもくっきりと見える。山裾を縫うように川が流れ、その川の脇に辛夷が白い花を輝かせ、そして瀬音に和すように揺れている。

   ならばどうする卒寿青き踏む         梅田 弘祠

  弘祠さんは御年九十歳。めでたく卒寿を迎えられた。「ならばどうする」と唐突に始まる上五に一瞬驚かされるが、下五に答えを据えて、卒寿となった感慨を軽く余裕で流しておられる。「青き踏む」は陰暦三月三日に野辺に出て、青々と萌える野の草を踏んで宴を催した中国の習俗「踏青」に由来するが、日本に伝わってからは、その日に限らず、春の野に遊び、散策を楽しむことも指す。歩くことは健康長寿の妙薬。有馬先生は一日一万歩を欠かさず続けておられた。あやかりたいものだ。

    おぼつかぬ初音に和み村議会        籔谷 智恵

  村議会と聞くと、議員みんなが親戚か知り合いで、ほのぼののどかな雰囲気なのだろうと思ってしまいがちだが、過疎化、高齢化、少子化が急速に進む今日、村の存続そのものが危うい状況にあり、実は、かなり緊張感のあるやり取りがなされているのかも知れない。そんな議場に鶯の初音が聞こえたのである。自然豊かな我が村の有難さに思いが馳せ、ぎすぎすした雰囲気も少しは和んだことだろう。

    春めくや晴湖師弟の墓二つ         野中 一宇

  古河出身の奥原晴湖は明治の女流画家で、明治十二年の「皇国名誉書画人名録」では閨秀画家の筆頭に紹介されるなど、華々しく活躍した。画風は豪放磊落、作品には自作の漢詩を添え、独特の異彩を放った。その女弟子の一人が渡邊晴嵐で、絵の弟子として「小晴湖」と呼ばれただけでなく、晴湖の生活全般をまるで伴侶のごとく支えた。晴湖が没した際、晴嵐は殉死の覚悟さえしたというが、晴湖の後事をすべて整え終えた五年後、晴湖の祥月命日の翌日に没した。春めく陽気の中、師に寄り添って弟子の墓が並んでいる。

   秋の雲大垣の端に笠ひとつ         中河  幽

  大垣は芭蕉の紀行文「奥の細道」の結びの地である。当時の大垣は江戸に次いで俳諧が盛んな地と言われ、芭蕉は以前「野ざらし紀行」の際に訪れており、木因など芭蕉を慕う俳人が多い土地でもあった。芭蕉はこの地で二週間ほど過ごしたあと、<蛤のふたみにわかれ行秋ぞ>と文末に記して「奥の細道」を結び、旧暦九月の初め、伊勢へと旅立つのである。今、水門川の畔には、木因とその見送りを受ける芭蕉の二人の像が立ち、芭蕉の手には杖と笠が握られている。

   風光る紙に躍れり空海臨          藤木 有紀

  臨書とは古人の名筆をお手本として真似る書道の練習法のこと。従って空海臨は、三筆の一人弘法大師(空海)の技術や精神を学ぶことを指す。春になり日差しが強くなり、そよそよと風が吹き渡ると、何となくその風さえ光っているように感ぜられる。躍動感が臨書の文字にまで及んでいるようだ。有紀さんは長年修練を積んでこられたのだろう。投句はがきに書かれた一字一句が実に美しい。

   春めくや掃き出し窓を開け放ち       我妻千代子

  掃き出し窓とは、床面まで届く大きな引き戸式窓のことで、昔、箒で室内のゴミを外へ掃き出していたことに、その名が由来する。採光・通風や出入りに優れているが、一方、外から丸見えなのが防犯上の弱点で、冷暖房効率も悪いため、最近の一戸建て住宅で掃き出し窓の採用は少ない。さて、春めいてきたので、一気に窓を開け放ったのだ。まだ少し寒いが待ちに待った春を迎える気分が横溢している。

   忘れ雪一心に泥喰む鴨に          伊藤 正規

  鴨を眺めていると、泥を食べているように見えることがある。がこれは、泥を食べるのではなく、泥をかき分けて、泥中の有機物、貝、れんこん、水草の根などを見つけて食べているのである。水中に逆立ちして泥に頭を突っ込みかき回すので、顔が泥で真っ黒になったりするのを目にすると、まさしく「一心に」という把握が的確であるのを知る。忘れ雪は春になってから降る名残り雪と同義。中七から下五にかけての意味上の句跨りのぎこちなさが、春寒の中、餌を漁る鴨の必死さと重なる。

   口中に夢のつづきの春霞          齋藤みつ子

  いい夢を見ていたのに目覚めてしまって残念、といったことがよく起きる。続きを見たいと思って固く目をつぶっても、布団を引きかぶっても、見ることは叶わず、想像で補うのが関の山だ。だがこの句、口の中に夢の続きがあるというユニークな発想。何か美味しいものでも食べていた夢だったのだろうか。季語が春霞だから綿菓子かソフトクリームか。いずれにせよほのぼのとした長閑な句。

   水晶の瞳の照りて古今雛           松本 正光

   御殿雛並ぶ店先江戸の風           金子 博美

   良か時代金箔づくしの昭和雛         石井 英子

   親ごころ嫁ぐ娘へ大和雛           笠原 綾子

   マトリョーシカと木目込雛の宴かな      道家 俊雄

   すこしづつ烏帽子かたむく内裏雛       江成 苑枝

   奥武蔵歴史を紡ぐ丸太雛           大畑 雄二

   北総の小さき駅舎の吊るし雛         横山 白鷗

   折雛の窓辺に午後の影長し          千島 文得

   押絵雛明治の祖父が執りし筆         岡崎志昴女

  今月の投句は雛祭りに係わるものが多かった。古今雛は江戸時代後期からの流行でそれまでの享保雛よりも写実的で華やかで、水晶の目もこの時代から。御殿雛は江戸時代後期から昭和まで続いたスタイルで、宮中紫宸殿を模した建物内に雛を飾る。昭和雛は戦前の昭和からで、豪華な段飾りが特徴。大和雛は木目込み人形の一種で、木目込みとは桐粉で固めた人形に細かい溝を彫り、そこに布地を埋め込んで衣裳を着せたもの。内裏雛は天皇皇后を模した二体一対の雛を指す。丸太雛は飯能市の特産西川材を用いた地域性豊かな木製雛人形。吊るし雛は江戸時代に高価な雛人形が買えない代わりに手作りの人形を吊るしたことに始まる庶民発祥の雛飾り。折雛は折り紙で作る雛。押絵雛は厚紙の型紙に綿をのせ、布で包んで立体感を出す手法による人形。雛の句比べは楽しい。

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